五 月 例 会 (第五百六十一回)
                   (平成二十九年五月十一日)

買って来た高い卵をテレビでは他のと何にも差が無いと言う(長瀬武司)

ヨガ講習弛んだ筋に活入れる終わってみればふしぶし痛む(古田司馬男)

買物の帰りの道に桜散る今日もいい日と日記にしるす(鈴木芙美子)

耐えてこし切れ長の眼が自信に満つどすこいどすこい稀勢の里の代(横山 稔)

チューリップやはり赤から咲いたねと背にいるはずの君に話せり(熊崎佐千子)

吉野桜葉がないからこそより優美葉の後出しは神業のよう(川島綾子)

世界中をアッと言わせるトランプの次なる一手にさらに期待す(井上秀夫)

さくら咲く何を語らん太い幹昔を知れとふる里へ呼ぶ(山田テル子)

咲く花は何ときれいか垂れ下がるしだれ桜はひときわ映える(小椋勝宏)

公園の桜が咲いて満開に広場は明るく美しく見ゆ(福田時子)(鈴木光男)

島巡り三河に浮かぶ佐久島は鶯の声島中に満つ(大西富士夫)

四月でも北は雪降り関東は汗だくだくでカキ氷食む(丸山節子)

郡上にて摘み来しと聞き蕗のたう春の香りを味はいてをり(佐野きく子)

東芝の厳しい経営の先行きに株と体調に悩みいる日々(久野高子)

花筏流れに任せ何処へ行く週末近づく日々を豊かに(安田武子)

「よう来た」と言いくれし人皆逝きていよいよ遠くなりゆくふる里(小原千津子)

幼き日八人家族のこのわれにゆとりの便座ぞ朝のひととき(鈴木光男)

こんな時いつかは来ると思ってた老老介護の試練始まる(河野かなゑ)

じゃがいもの芽を見るたびにソラニンとう毒素教えし教師の浮かぶ(鈴木寿美子)