六  月  例  会  (第五百三十八回)
           (平成二十七年六月十一日)

願わくは人の苦労や思いやりわかる子になれ孫子に思う(古田司馬男)

傍らに母いる如く信じ込み初夏の浅瀬へ脚曝け出す(長瀬武司)

改憲をアベノミクスなるオブラートに包んで民に飲ませんとする(井上秀夫)

「コントロールされてる」と言うは不謹慎なりメルトダウン後の「デブリ」を追えば(横山 稔)

両親の遺品の整理する人を眺めてわれもあたりを見廻す(河野かなゑ)

志賀高原、発哺、湯田中、白根山テレビの画面に青春あふれくる (鈴木寿美子)

石垣と鳥居を残し消えた村過ぎた生業を偲ぶものなし(大西富士夫)

散る桜絨毯のよう寺の前轍くっきりふたすじ無残(脇原貞子)

今年限り毎年唱え路地イチゴ今年も作りまた今年限りと(川島綾子)

花びらをゴミ袋いっぱい詰め込んで捨ててあるのを見てしまいたり(鈴木芙美子)

母縫いし大島紬にしつけ糸 ごめんね箪笥に五十年眠る(安田武子)

早朝の公園につばめがすれすれに若草の上乱舞している(福田時子)

凛と生きし友の顕ちくる季くればほたるぶくろの真白きが咲く(小原千津子)

携帯を忘れて帰る弟は元気にいても心もとなし(丸山節子)

深夜覚めのどの痛みに体温を計りて居れば不安気な猫(佐野きく子)

「安保法制」「都構想」など知る能力日々欠けていく不安のつのる(久野高子)